リコピン効果が注目のトマトの意外な歴史

今回は、老化防止などのリコピン効果が注目の野菜「トマト」についてお話させていただきます。


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トマトの歴史

みなさんは、トマトで有名な国といえばどこを思い浮かべますか?

やはり、パスタのトマトソースなどが有名なので、イタリアあたりを思い浮かべるのではないでしょうか。

私が以前住んでいたスペインでは、毎年8月にプニョールという街で「トマティーナ」と呼ばれる大量のトマトを投げ合う、日本では「トマト祭り」と呼ばれているお祭りが有名でした。その日は街に湖ができるほどのトマトを投げ合っているそうです。もったいないですね。

このように、トマトはヨーロッパの野菜と思われがちですが、実はもともとトマトは南米のアンデス地方が原産地になります。

アンデス地方は年間降水量が平均100mm以下と、砂漠に似た一年を通して乾燥した地域です。

私もペルーに旅行したことがあるのですが、アンデス地方の山脈の裾野にある“ナスカの地上絵”を訪れるためホテルを出発しようとしたとき、現地のガイドさんが「雨は年に2回位しか降らないから傘は必要ありませんよ。」と言っていました。

そのような地域が原産地ですので、トマトは今でも乾燥した土地を好むそうです。

メキシコからヨーロッパへ

アンデス地方のみに植生していたトマトはやがて、人間や鳥などによってメキシコに運ばれました。

その後、約500年前の大航海時代にメキシコにやって来た、エルナン・コルテスというスペイン人が、トマトの種をヨーロッパに持ち帰ったといわれています。

しかし、当時のトマトは食用ではなく、観賞用として育てられていました。

当時のトマトの形状がベラドンナという有毒植物に似ていたので、トマトにも毒があると思われていて、食べられていませんでした。

トマトが食べられるようになったのは、それから約200年後の18世紀になってからだそうです。

なぜ食べられるようになったのでしょう。

それは、イタリアの貧困層の人たちが、飢えに苦しみ思い切って食べてみたのが始まりといわれています。

その後、品種改良され酸味を弱めた現在のようなトマトを作りだしていきました。

そして日本へ

では、日本にはどのように伝わったのでしょう。

日本にトマトが伝わったのは江戸時代の初期といわれています。

当時ヨーロッパで唯一交易があったオランダ人によって持ち込まれたと言われています。

当時の絵師、狩野深幽が「唐なすび」としてトマトをスケッチしています。

また、本草学者の貝原益軒が著書「大和本草」にて「唐ガキ」としてトマトを紹介しています。

日本でも最初は食用としては扱われず、観賞用として育てられていました。

食用として食べられるようになったのは、大正時代だそうです。

日本で最初にトマトを食用として栽培したのは。トマトケチャップで有名なカゴメの創始者の蟹江一太郎氏といわれています。

強いトマト臭で多くの人に避けられていたトマトでしたが、洋食屋で使っていたケチャップによりトマトの味が広まり、やがて生食されるようになったそうです。

ケチャップの効力すごいですね。

トマトの栄養

トマトはカロリーが低く、栄養成分が豊富な野菜です。

美肌効果のあるビタミンCやミネラルや食物繊維などをバランスよく含んでいます。

その中でも注目されているのが「リコピン」です。

トマトの赤色はこのリコピンが赤いからです。

酸素は私たちが呼吸をするのに欠かすことのできない気体ですが、同時に酸素には細胞を酸化させ、老化やがん、動脈硬化などの生活習慣病を引き起こす作用があります。

そこでリコピンが持つ強力な抗酸化作用が注目されているのです。

その作用は、老化を抑制する作用があると言われているビタミンEの約100倍ともいわれています。

リコピンは生食用のトマトよりホールトマトやトマトジュースなどの加工品のほうが、吸収性があることが明らかになっているそうです。

リコピンを効果的にとるには加工品を利用する方がいいかも知れませんね。


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