【偉人に学ぶ】江戸時代初期に108歳まで生きたお坊さん

南光坊天海(なんこうぼうてんかい)

みなさんは、南光坊天海という人物を知っていますか?
天海は江戸幕府初代将軍徳川家康の側近として仕え「家康の知恵袋」と呼ばれ、その後、2代将軍秀忠、3代将軍家光の代まで側近として仕え、実に108歳(数え年)まで生きた天台宗の僧です。
この時代に73歳まで生きた家康でもかなりの長寿のほうだったのに、天海はそれをはるかに凌いでいました。その驚くべき長寿の秘訣は、ある2つの料理だったのです。


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納豆汁


納豆汁は天海が生まれ育った会津若松地方では古くから郷土料理として人気の食べ物です。大根やごぼう、椎茸、里芋、こんにゃく等で仕立てた野菜汁に、納豆を刻んでたっぷり混ぜた料理です。
大豆のたんぱく質が納豆菌によって分解されてできたグルタミン酸のうま味が出汁になって、みそ味のよく効いたとろみのある汁に仕上がり、身体が温まります。
納豆に豊富に含まれているレシチンは体内で神経伝達物質のアセチルコリンに変わります。アセチルコリンは、記憶や認知、集中力などに深く関わる物質として注目されています。
また納豆に含まれる前述のグルタミン酸やビタミンEも血管や身体の老化をふせぐ働きをしています。その他にも血中コレステロールの濃度を低下させるサポニンなども含まれています。
このように栄養面で優れた納豆と、様々なビタミンやミネラルを含む野菜を一緒に摂れてしまう納豆汁は、無敵の長寿食ですね。
江戸時代初期まで、納豆はご飯にかけるよりも味噌汁に入れて食べるのが一般的だったそうです。家康が体調を崩した時にも天海は納豆汁を食べることを勧めたそうです。

納豆といえば水戸?東北?

納豆といえば、茨城県の水戸を思い浮かべますが、東北地方でも越冬時の貴重なタンパク源として重宝されていて、水戸市に負けないぐらい納豆の消費量が多いそうです。実はわたくしも最近、出張で初めて山形に行ったのですが、夜に定食屋へ行った時、唐揚げ定食を注文したのですが、付け合わせに納豆が出てきました。私の住んでいるところでは納豆が苦手な人もいるので、付け合わせで納豆が出てくることはありませんでしたので驚きました。
それから、山形には「ひっぱりうどん」という、うどんに納豆とサバ缶をまぜて食べる名物料理がありました。とても美味しかったです。

クコ飯


天海は納豆汁と一緒にクコ飯をよく食べていたそうです。クコ飯はクコの実を白米と一緒に炊いたご飯です。クコは赤い小粒の実で甘味があり、ごはんに混ぜると見た目も味わいも良くなります。干したクコは漢方薬としても用いられており、身体の酸化を防ぐカテキンなど抗酸化成分が含まれています。その他にクコには免疫力を高める薬効成分が豊富に含まれています。また中国では3000年以上前から薬用として使用され、日本でも古くから滋養強壮薬として用いられてきました。身体の劣化を防ぐことは100歳以上生きるためにはとても重要なことですよね。

大らかな気持ちが大事

天海は、秀忠か家光かは定かではないのですが、どちらかに長寿の秘訣を尋ねられた時、以下のような唄で返答したそうです。

「長命は 粗食、正直 日湯(ひゆ)だらり 時おり御下風(ごかふう) あそばさるべし」

意味は、長生きするには、贅沢をつつしんでかつしっかり栄養を摂り、嘘をつかずに、毎日お風呂に入りストレスを感じず、時々おなら(御下風)をして我慢せずに過ごすというような意味です。つまり、戦国乱世の英雄だった家康と比べられ「もっとしっかりとしないと」と思いつめないように、気を張り詰めずたまには放屁を大目に見るくらいゆったりと構えていれば、おのずと将器は備わると伝えたかったかもしれません。
天下の将軍様にたまには放屁をするといいですよなどと冗談まじりに言える天海だからこそ、ストレスもなく大らかな気持ちで過ごし108歳まで生きたのではないでしょうか。


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