栄養学の歴史

栄養学の歴史
現在は食べ物の栄養成分も多くの事が解明されてきました。そして戦後、栄養が改善した事で、日本人の健康状態は劇的に向上しました。平均寿命も大幅にアップし、世界でもトップの長寿国です。これは現在に至るまで、栄養学に命をかけてきた人達のおかげでもあります。栄養学の発展の影にどのような人物たちが、今日の栄養学の礎を築いたのかをご紹介しましょう。栄養学の基礎を学ぶ上で是非知っておいて頂きたいです。

栄養学のはじまり

栄養学の歴史
栄養学の始まりは、紀元前5世紀と言われており、古代ギリシャの医学者だったヒポクラテス「治療の原理は本来人間に備わっている自然力の働きを助けることであり、特に食事に注意することが大切である」と述べたのが栄養学の始まりだと言われています。

当時のギリシャでは、ギリシャ神話の医学の神であるアスクレピオスの神殿が各地に建設されていました。その神殿内で医学教育と共に栄養学の研究が行われていたといいます。

そして医学の発展と共に栄養学が発展していく事になります。ローマ時代になるとガレノスが、人間の体に流れる血液の流れについて解明しました。そして、食事、物理、薬物の3大療法が用いられました。こんな昔から食べ物の重要性が説かれていたのです。このように栄養学は医学の発展と共に発展の道を歩んでゆく事になります。

ギリシャで培われた医学はイスラムの世界に継承される事になります。イスラムのアル・ラーズィーという人物はヒポクラテスとガレノスの医学知識を融合させて、薬物臨床に応用しました。ここには栄養学の知識も含まれており、イブン・シーナの書である「医典」には小児期の食事療法について記述があります。

その後、ヨーロッパでは、イスラムやギリシャの医学知識や文化を取り入れつつ、ルネサンスや宗教改革の時代を経て、医学や科学が一挙に進歩する事になります。この中で、ヒポクラテスとガレノスの食事療法は18世紀まで栄養学の基礎として継承されていく事になります。

当時、船乗りが長期の船旅で「壊血病」になり死人が続出していましたが、大航海時代になると「レモン」の摂取によって改善する事が分かりました。これによって食べ物の健康効果が重要視されていくことになります。
※壊血病とは、貧血、歯肉からの出血、衰弱といった症状のでる病気。ビタミンCが不足する事によって起こる。

18世紀後半になると、フランスの科学者であるラボアジェによって、呼吸による栄養素の燃焼が体内でエネルギーを作り出す事が発表されました。この頃、エネルギー代謝の考え方が示されたことによって、栄養学が学問としての地位を確立されました。

現在、学校の家庭科の授業でも登場する「3大栄養素」糖質、たんぱく質、脂質の概念が確立したのは1827年と言われます。イギリス人の医師であるプラウトによって化学的に分類されました。これ以降、急速に栄養学は発展していくことになります。20世紀初頭には「ビタミン」が発見されます。

日本の栄養学の歴史

日本の栄養学の歴史
日本の栄養学の始まりは、ある病気からでした。それが「脚気・かっけ」です。
脚気は江戸時代に入って大流行しました。浮腫や末梢神経の麻痺、循環器障害、胃腸障害といった症状を訴える人が続出しましたが、なぜこんな症状がでるのか当時は原因がわかりませんでした。結局これは江戸時代の食事の変化によるものです。それまで玄米を主食にしていましたが、江戸時代になって白米が主食として食べられるようになったことでビタミン量が不足してしまったからです。

脚気が改善し始めたのは明治時代に入ってからです。軍医だった高木兼寛が、たんぱく質と野菜を増やした「洋食」を取り入れた事で、海軍の脚気患者を減少させる事に成功しました。これによって白米の栄養が玄米に比べて低いことが認識されるようになります。ここから日本で栄養学が発展していく事になります。

鈴木梅太郎
                    画像:鈴木梅太郎

1910年になると、鈴木梅太郎は脚気に有効な成分である「アベリ酸」とう栄養素を米ぬかから抽出する事に成功します。その後、鈴木梅太郎は理化学研究所や合成清酒の設立に関わります。

1925年には、アメリカに留学して栄養学を学んできた佐伯ただすによって私立の栄養学校が設立され、日本でも栄養学を学ぶことができる基盤が整いました。佐伯ただすは、当時の貧しい日本経済の中で、安く手に入る食べ物で、高級料理と同等の栄養価を摂取する「経済栄養法」を提唱しました。
しかし、度重なる戦争によって食べ物が無くなり、日本人の大半が栄養不足に陥る時代に突入してしまいます。

太平洋戦争以降、日本は敗戦しましたが、アメリカ・欧米の食文化が流入した事によって日本人の栄養状況は劇的に改善する事になります。さらに戦後に日本の栄養学も進歩し、1949年には日本人の年齢別、性別、労作別の「栄養所要量」が定められました。これは現代ほどではないにしろ、日本人に栄養素がどのくらいの量必要なのかという事が明確に示された初めての事です。
さらに、1950年には「日本食品標準成分表」が発表されました。食品成分表は改定されながら、現在でも医療現場で使用されています。

栄養に関わる学会も戦後に続々と設立されます。1947年には日本栄養・食糧学会、1949年には日本ビタミン学会、1982年には日本臨床栄養学会が設立されました。
さらに、法律整備も戦後に行われます。1947年には「栄養士法」も発令され、栄養士制度が整備されます。そして現代に至るまで管理栄養士・栄養士が日本人の栄養改善のために多大な努力をしてきました。

これからの栄養学

戦時中から戦後にかけては、とにかく栄養失調になる日本人が多かったため、エネルギー摂取に重点がおかれてきました。高度経済成長を経て日本人の食事環境は劇的に改善し、現在では「飽食の時代」と言われるほど、食べ物に困らなくなりました。しかし、栄養失調は改善されたものの、現在では「がん患者の増加」「認知症の増加」など新たな問題が浮上しています。今後はこれら病気の改善・予防のための栄養学が求められます。